宮崎駿を正攻法で反論させて戴く。
http://blogs.itmedia.co.jp/yasusasaki/2010/07/ipad-ab70.html
結論から言えば、宮崎駿はスティーブ・ジョブズと対談してくれ。それで全てが済む。
ジブリの代表とPixarの代表の対談なんだから誰も止めないよ。
「ぼくには、鉛筆と紙があればいい」という大人は、鉛筆と紙がテクノロジーの産物であることを忘れすぎている。僕には墨と筆があればいい。
鉛筆なんて、産業革命に踊らされ人心を失った豚の使う道具さ。
というか、たいていの時代のクリエイターは紙と筆すら自作していない。
つまり創造とはなんの道具を使うかじゃない。それで何を創れるか?だ。
…けっきょく、『紙と鉛筆さえあればいい』というのは、古き良き実在しないおとぎ話なんだよね。アニメだって紙と鉛筆とゼロックスと撮影機材がないと作れないわけだし。他の職業を軽視した原画屋の勝手な言い分にすぎぬ。
さらにフィルムと映写機がないと観られない。
それらは宮崎駿が子供の頃、とても高価な品だったはずだ。
そう、iPadのようにね。
考えてみて欲しい。
夢中になって暗室に映し出されるアニメを追う子供と、
iPadで再生される動画を楽しそうにのぞき込む子供。
無我夢中で鉛筆を握りしめ紙に絵を描く子供達と、
iPadで熱心に絵を描き始める子供達。
いったいなにが違うというのか?
まずiPadに触れてみて欲しい。
これがただの道具だ、ということにすぐに気づく。
とてもシンプルな道具だ、ただデジタルと言うだけで。
だからもうすぐ、とても当たり前の道具になる。鉛筆のような。
『魔法のようになんでも出来る』
というのは世界を席巻したジョブズお得意のワンフレーズ・キャッチコピーだ。
クリエイターのくせに言葉通り騙されるな、馬鹿。
想像力が足りない。